今回は私のスポーツ遍歴についてお話します。
幼少期、一番最初に習ったのはスイミングだったと記憶しています。
幼稚園の年中組から初めて、すぐに泳ぐこと・水遊びが大好きになりました。
小学校の2年生くらいには永遠に泳げるんじゃないかと根拠のない謎の自信を持っていました笑
次に習ったのが少年サッカーで小学校にあがるころにスタートしました。
一緒に習っている近所の年上のお兄ちゃんたちにいつも負けて泣いてましたね笑
(僕が幼少期のころにJリーグが開幕して世間はサッカーブームでした。
みんなJリーグキャップをかぶってたくさんの子供たちがサッカーをしていました。)
いつも年上のお兄ちゃんたちに囲まれて練習していたので、上達も早かったような気がします。
こういう環境ってとても大事だったんだなと改めて思います。
小学生の低学年のころはスイミング週1回とサッカーを週2回の
スポーツの習い事が週3日のサイクルでしたが、
途中からスイミング週2回とサッカー週3回にときどきミニバスケットと、気が付けば
週に5-6日はスポーツをするという生活になっていました。
(今思えば多すぎますよね。週に1日しか習い事の休みがないなぁと思いながら
当時は通っていました笑)
中学はバスケット部に所属、高校で再びサッカーに取り組みました。
中学・高校時代は特に球技に夢中だったように感じます。
走ることが好きではなかったのに、マラソン大会などで学年で1番になるなど、
持久力について人よりも優れた部分があるんだと自覚することができました。
大学では競技としてのスポーツは続けず、趣味の延長でバスケットやフットサル、
草サッカーをしていました。
そんななか、大学時代を含む20代で一番のめりこんだのはアウトドアスポーツでした。
スノーボード、サーフィン、登山、クライミング、カヌー、カヤック、釣り、マラソン、トレイルランニングなどいろんなことにトライしていました。
特にスノーボードとランニングは相性がよかったらしく、大学時代から現在まで継続しています。
(現在は雪山へ行く回数はだいぶ少なくなりましたが)
20代の頃はカヌーで四万十川を何日もかけて下ったり、
カヤックで奈良の吉野川、徳島の吉野川を下ったり、
ボルダリングで壁に張り付いたり、クライミングで岩に張り付いたり、
無人島でキャンプしたり(今ほどのキャンプブームになる前です!虫だらけで怖かった!)
山間の渓流でテンカラ釣りをしたり、釧路湿原を歩き回ったり、
西表島へイリオモテヤマネコを探しにいったり(みつかりませんでした笑)、
川や海に潜って魚を突いたり、北海度の雪山で遭難しかけたり、登山で雷に打たれそうになったり、
(命からがらの危険な話はまた別の機会に。。)
今思えばよく生きて帰って来れたなと思うような野生児さながらの活動をしてました笑。
(いまは幼い子供をもつ父親として、危険な活動は極力しなくなりました(たぶん。))
社会人になってからは前述したスノーボード、登山の他に各地のマラソン大会へ出場するように。
フルマラソン、ハーフマラソンを含めると10回くらいでしょうか。
(ベストはフルで4時間10分くらい(ハーフで2時間くらい)のファンランナーレベル)
こどもが生まれてからはなかなか大会参加できていないです。。
とまあ、ざっくりとスポーツへのこれまでの関わりを書いてみましたが、
なんか行き当たりばったりのスポーツ遍歴ですね。。
けれど、これだけいろんなスポーツに取り組むことができたのは、
「きっとできる気がする」という”根拠のない自信”を
幼少期の早い段階でもつことができたことが背景にあると個人的に分析しています。
ただ早くスポーツを始めたこと、さまざまな運動を継続したことが
重要な要素だったのでは?と感じています。
この「根拠のない自信」と「ま、いっちょやってみっか!(孫悟空風)」のポジティブな姿勢が
どんなスポーツも尻込みせず取り組むことを可能にし、私にいろんな景色を見せてくれました。
それは素敵な人生経験となっていまの生活を彩ってくれていると確信をもって言えます。
願わくば、スポーツを通じて自分の子供たち、
そしてこの教室に入ってくれる未来の生徒さんたちにも
「ま、いっちょやってみっか!」
のポジティブなココロが備わってくれることを。